No. 1, 1995年12月25日 発行
(井上 琢智作成)
アメリカ経済思想史研究会創立にあたって
代表幹事 田中 敏弘(関西学院大学)
アメリカ経済思想史研究会 The Japanese Society for the History of American Economic Thought は今年6月10日,関西学院大学で開催された総会において正式に創立されました。準備委員(佐々木晃,白井厚,高 哲男,田中敏弘)が1994年10月28日,武蔵大学で会合を開いて決めた「アメリカ経済思想史研究会創立のご案内」によれば,アメリカにおける経済学・経済思想の歴史的展開の研究は,その重要性にもかかわらず,イギリス,ドイツ,フランスなどのヨーロッパ経済思想史とは異なり,特殊な領域と考えられ,必ずしも適切な評価を得てきませんでした。またアメリカ研究という視点からも,アメリカ経済学・経済思想史の研究は不可欠であるにもかかわらず,十分とは言えません。そこで,アメリカ経済思想史研究会を組織して,研究発表の場をより広く確保し,研究者相互の交流を組織的にはかり,研究を更に一層促進することの必要性を考慮し,研究会は,狭い経済学史にとらわれず,広く社会・経済史,社会思想史研究を含め,幅広い視野にたった研究がめざされています。さらにアメリカの研究者との交流をはじめ,広く国際的交流を組織的に進めることも,この研究会の創立によって可能となります。
このような創立趣旨に賛同され,創立に参加されたオリジナル・メンバーは31名でした。創立後アメリカから Prof. Warren J. Samuels (Michigan State Univer-sity),Prof. Laurence Shute (California State Politechnic University),Prof. Ross B. Emmett (Augustana University College, Canada)の 3名が,また,賛助会員して Robert H. Rubin氏が入会されました。とくにサムエルズ教授は研究会の創立に際し,このニューズ・レターに祝辞を寄せて頂きました。ここに深く感謝する次第です。また,HOPEの編集者,Prof. Craufurd D. Goodwin,International Thor-stein Veblen Association の Director, Prof. Rick Tilman からも好意あふれる手紙と情報をいただきました。ここに記してお礼申し上げる次第です。
はからずも私は代表幹事に選ばれましたが,私の仕事は,幹事のかたがたのご支援をえて,なによりも研究会の基礎がために専念し,とくに若い研究者のアメリカ経済思想史研究を促進する手助けをすることであり,やがて国際的にも開かれた学会に育て上げることと考えております。会員の皆様のご協力をえて,切磋琢磨し,研究会を充実・発展させていきたいと思いますので,よろしくお願い致します。
Greetings to the Japanese Society for the History of Ameriacn Economic Thought
Warren J. Samuels
The formation of The Japansese Society for the History of American Economic Thought is a most welcome development.
As one of the founders of the U.S. History of Economics Society, whichthis year celebrated its twenty-fifth anniversary, I think that I can ap- preciate your sense of accomplishment and prpspect.
The study of American economic thought is, obviously, a most importantfield. It is "obviously" that because economics during the last half-century has become a predominantly U.S. subject; American neoclasscism hasbecome the dominant, even hegemonic, school. Its history thus becomes a major field for historians of economic thought.
But I encourage my Japanese colleagues to interpret neither American economic thought in general nor neoclassical economic thought in particu- lar on its own terms. American economic thought is more diverse than is rendered by saying that neoclassicism has become dominant. Neoclassism is itself heterogeneous and the economics discipline of which it is so impor-tant a part is manifestly diverse as well. Heterodox economics schools have been an important part of the discipline in the U.S. since the end ofthe nineteenth century. And, no less important, the tools of historio-graphical research - such as the study of scientific knowledge and sociology of the professions and of small groups - must be brought to bear on the intellectual and personal history of American economic thought. Much of the most interesting work in the history of economic thought worldwide has been undertaken along lines considerably departing from the Whiggish, legitimizing tendencies of some traditional work in the field. The field is richer for all that. Moreover, one can practice the newer forms of historical research without being either for or against any particular school.
The formation and operation of a professional society, such as yours, can be of immense value to individual scholars. The society can provide a sense of identity and of common purpose; it can provide a mode of encouraging and rewarding reseach. Your society can have a wonderful future. I wish it well.
第1回 アメリカ経済思想史研究会プログラム
時:1995年6月10日(土)13.00-18.00 所:関西学院大学 池内記念館 第1研究会室
総会
研究報告
懇親会 16.40-18.00
研究報告要旨
塚本 隆夫(日本大学経済学部)「W. C. ミッチェルのT. R. マルサス『人口の原理』批判」
W.C.ミッチェル(Wesley C. Mitchell, 1874-1948)は,一般に,T. ヴェブレンやJ. R. コモンズらと共に「アメリカ制度派経済学」の創設者の一人として位置づけられている。ミッチェルの「経済学」は,一方に数量的分析手法に基づく「景気循環論」と,他方に「経済学史」との研究によって特徴づけられている。しかもミッチェルは,J.デューイの思想を受け入れ,自己の「経済学」を,当時のアメリカ国民経済を改革するための「道具」として考えた。いわば,ミッチェルの経済学は,「改革志向型」であった。
このようなミッチェルにとって,社会の貧困を不可避な自然法則とし,社会改革に対する批判の論理的根拠を提供するマルサスの「人口論」は,必然的にその批判対象とならざるを得なかった。しかもマルサスは,経験的データに基づく帰納法的手法によってその人口論を構築している。このマルサスの研究手法こそ,まさしくミッチェルが目指したものでもある。
それ故に,ミッチェルの「マルサス批判」を再検討することは,ミッチェル自身が「科学としての経済学」をどのように考えていたのかを知る,重要な手掛かりを与えてくれるものである。そこで私は,ミッチェルの『経済理論の諸型』に収録されている「第4章 トーマス・ロバート・マルサスと経験主義の傾向」("Chapter 4 Thomas Robert Malthus and the Empirical Trend," in Types of Economic Theory, vol.1, pp.215-260)を取り上げ,検討を行う。
ミッチェルは,マルサスの学説をW. ゴドウィンの「理想社会論」及び「人口論」とを比較する事から始める。そしてミッチェルは,マルサスの人口学説の要点を以下のように整理する。マルサスの人口論は,2つの公準から成り立つ。それらは,(1)食物は人類の生存に必要である。(2)両性間の情欲は,必要であり,大体今のまま変わらない。この公準に基づいてマルサスは,食料が算術級数的に増加し,他方,人口は幾何級数的に増加すると主張する。そしてこの増加率の差から,人類には貧困が不可避の運命として与えられていると,結論する。 ミッチェルの見地からすれば,上述のマルサスの論拠は,何ら事実の検証を受けるものではない。それらは,マルサスの強固な先入観によって解釈された「普遍的な真理」であり,検証不可能なものである。マルサスは,自己の先入観に引きずられ,その「普遍的真理」から論理学的に「人口原理」を演繹したのである。それ故に,マルサスの「人口原理」は,事実の検証を受け入れるものではない。かくしてミッチェルは,マルサスの学説が,ミッチェル自身が目指す「科学としての経済学」にとっては,受け入れ難いものであると,結論を下す。
ところでミッチェルの「経済学史の研究手法」は,「経済学者の主要な関心」とその「人間性の概念」とを,当該の経済学者の社会環境から解明し,経済学の類型化を試みるものであった。とすれば,以上のミッチェルのマルサス批判は,未展開なものであったのであろうか。私はそうではないと考える。というのも,ミッチェルの狙いは,一見,事実に基づくデータと数学的論理を持つマルサスの学説が,実はマルサスの強固な先入観に基づく検証不可能な「普遍的真理」から論理学的に演繹された理論体系に過ぎないことを,論証する点にあった,と思われるからである。かくしてこの点を明確に押さえたうえで,ミッチェルが目指した「科学として経済学」を明らかにしていく事が,私の今後の課題でもある。
高 哲男(九州大学経済学部)「ビッグ・ビジネスの形成とアメリカ経済思想の展開 ――19世紀末から1920年代までの概観――」
アメリカの経済思想が大きく変わり始めたのは19世紀末のことである。鉄道の発展が瞬く間に真に統一的な市場をつくりあげ,重化学工業や機械産業における科学技術の急速な発展が,大量生産・大量消費という現代的な大衆消費社会=都市社会を実現した。ヨーロッパ,とくに旧宗主国イギリスの競争力を高率保護関税で排除し,国内的な「自由競争」にもとづく熾烈な価格競争をともなう高度経済成長を達成したが,1897年恐慌以後の大企業合同運動をへて,ビッグ・ビジネスの体制が確立することになった。この時期のポピュリスト運動の高揚から分かるように,農産物価格も大幅な低下をみた。要するに,実質国民総生産=総所得の急速な増加が急激な都市化の原動力であったということだ。しかし,豊かさは社会構成員のすべてに対して均等に振り分けられたわけではない。豊かさの進展はむしろ利害対立の先鋭化をもたらしたのであって,豊かな都市型社会に相応しい新しい社会慣行=制度形成が時代の要請事になっていたのである。
アメリカの大学に経済学部や商学部が設立され始めるのは1880年代末以降のことだが,経済学者の処方箋は,ほぼ以下の2つに分かれた。伝統的な個人主義的自由主義にもとづいて,あくまでも「自由」な私的利益の追求を基軸にした社会編成に身を委ねるべきだという処方箋と,労働大衆の生活向上をはかる手段として「労働組合」の結成を認め,さらに都市生活の公共的基盤を整備するために政府の役割を大きくしようとする処方箋とである。しかし,この旧学派と新学派との対立はビッグ・ビジネス体制の展開とともに消滅してゆく。具体的な経済問題の数量的・実証的把握と解決のための道具としての「法や制度」を模索するという方向に,アメリカの経済学は進みはじめる。第一次世界大戦を契機に,経済社会全体の効率化と組織化の試みはさらに政府をも巻き込んで進み,ついには「自由と富」を社会的に実現するためには政府の役割が不可欠だという経済思想をもたらすこととなった。大恐慌をへた1930年代のことである。
アメリカ経済思想史研究会会則(1995年 6月10日)
1 名 称
アメリカ経済思想史研究会 (The Japanese Society for the History of American Economic Thought)
2 目 的
日本におけるアメリカ経済思想史研究の促進と交流。
3 方 法
アメリカ「経済思想史」には広く経済学史,社会思想史および社会・経済史的研究が含まれる。
4 事 業
研究報告会の開催,他の内外の学会・研究会等との連絡・交流,ニューズレターの発行,その他本会の目的を達成するために必要な事業。
5 会 員
会員は広い意味のアメリカ経済思想史研究者で,会員一名の推薦により幹事会で認められた者。
6 会 費
年会費は 3,000円とする。
7 運 営
会の運営のために,幹事若干名をおき,うち,一名を代表幹事とする。
8 事務局
会の運営のために事務局をおく。事務局は当分の間,関西学院大学経済学部におく。
付 研究会報告は当分の間,年一回とする。
第2回研究会アナウンス
第2回研究会は,日本大学において1996年 6月15日(土)に開催されます。詳細はのちほどご連絡いたします。研究報告を希望される会員は,日本大学経済学部 塚本 隆夫会員までお申し出下さい。
ニュース
事務局より
取りあえず『ニューズレター』No.1をお届けいたします。紙面構成のためご協力いただいた塚本,高の二人の報告者および Prof. Samuels,Prof. Goodwinさらにインターネットーで学会を紹介していただいた Prof. Rutherford にとくに感謝いたします。はじめてのことで誤りがあるかもしれません。お気づきの点は,事務局までご連絡ください(田中敏弘)。
年末ぎりぎりの発行となりました。申し訳ありません。会計につきましては,次回の研究会でさせていただく予定です(井上琢智)。
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