No.2, 1996年12月25日
(井上 琢智作成)
アメリカ制度派経済学について
佐々木 晃(日本大学・名誉教授)
ソースタイン・ヴェブレンは,制度派経済学の創始者として知られている。1929年の彼の死去から現在まで,制度派経済学は紆余曲折を経たけれども,結局は発展の道程を辿っている。ヴェブレン思想の流れを汲む経済学者はあとを絶たない。A. G. グルーチーによれば,ヴェブレン,コモンズ,ミッチェル,J. M. クラーク,R. G. タグウェル,およびG. C. ミーンズらの1939年以前の制度派経済学者は,「旧制度主義」に含められ,C. E. エアーズ,G. ミュルダール,J. K. ガルブレイス,およびG. コルムらの1945年以後の制度派経済学者は,「新制度主義」に含められる。
このようにヴェブレン経済学の影響は,時の経過とともに増大することはあっても,衰退することはあり得ない。そしてこのような影響は,諸学者を1965年にアメリカに「進化論的経済学会」の設立に導き,一層堅固な組織的研究へと向かわせることとなった。それはまた近年ヨーロッパ諸国にまで広まりつつある。
それでは,何ゆえにヴェブレン経済学はこのような影響力をもつようになったのか,ということが改めて問題となるであろう。
第2次世界大戦後,新古典派経済学やマルクス経済学は世界経済システムの解明においてそれぞれ限界をもつことが,活発に論議されるようになった。これらの経済学の方法では,現今の世界経済システムの解明にとって重要な「文化」の問題が処理されないで残される,といえる。しかるに,ヴェブレンをはじめ制度主義者たちは,経済学を「人間文化の経済的局面あるいは物質的な財貨の供給に関係のある文化の局面を研究する文化科学である」,と主張した。彼らは文化の両極の一方に 科学技術を,そして他方に制度──すなわち思考の慣習的な様式,あるいは人々の 大多数に共通な思考の確立した習慣──を考えた。ところで,文化体系は,結局多 くの相互連関的な諸要素から成る一つのものであり,その諸要素のどの一つのものがはなはだしく撹乱されても,それは必ず残りのすべてのものを撹乱せずにはおかない。これらの変化は,科学技術の発展のような社会の物質的基礎に現れる場合,とくに当て嵌まる。人間は科学技術の発展によって社会の物的生活活動の実施方法を変えるが,このことは思考習慣のあるものを時代遅れとなし,新しい習慣の形成に進むことである。このようなヴェブレンらの「社会進化」の考え方は,古い工業化社会の衰退と今日の高度情報化社会の,すなわち,コンピューターとエレクトロニクスに基礎を置いた社会の台頭の時代においても,依然として新鮮さを失わないといえるであろう。
第2回 アメリカ経済思想史研究会 (1996年6月15日,13:00〜19:00,日本大学 経済学部)
田中敏弘代表幹事の挨拶ののち,議長に佐々木晃幹事を選出し,議事が進められた。
報告事項:@会員については,第1回研究会以後,4名(池尾愛子,Samuels, Warren J., Emmett, Ross B., Shute,L.)の入会があり,Rubin, Robert H.氏が賛助会員(会費100ドル)となった。さらに今回,春田素夫氏(日本大学)が入会し,会員総数は37名になった。A『アメリカ経済思想史研究−ニューズレター−』(No.1)が1995年12月に発行された。B1995年度会計報告がなされた。
審議事項:@『ニューズレター』(No.2)は1996年12月に発行する。A『ニューズレター』の研究会報告要旨には報告者が英文アブストラクトをつけることとなった。B第3回研究会は,関西学院大学で1997年6月に開催することになった。
その他,International Thorstein Veblen Association 第2回大会(Carleton College, Minnesota, May 30-June 1,1966)に西川純子会員と田中敏弘会員が個人として参加したこと,および田中会員によるこの大会関係資料の配付が報告された。
@中路 敬(日本学術振興会特別研究員,九州大学)「交換方程式と信用循環――フィッシャー『貨幣の購買力』へのケインズと ミッチェルの書評をてがかりに――」
A高橋和男(立教大学)「経済思想における『アメリカ的性格』とは何か ――ヘンリー・ケアリーの “アソシエーション”を中心に ――」
B佐々木晃(日本大学・名誉教授)「ソースタイン・ヴェブレンと制度変化の諸過程――マルカム・ラザフォードの見解について――」
研究報告要旨
中路 敬「交換方程式と信用循環 ―─フィッシャー『貨幣の購買力』へのケインズとミッチェルの書評をてがかりに──」
現代経済学において,フィッシャーがその主著『貨幣の購買力 − その規定と信用・利子・恐慌との関係 −』(1911)で提示した交換方程式は,貨幣数量説を表現するための道具としてのみ理解されている。すなわち,貨幣の流通速度と取引量とが一定という仮定の下に,貨幣流通量が増減すれば,即同率の物価の騰落をひきおこすと。その含意は,フィッシャーがデビュー作『価値と価格の理論の数学的研究』(1892,以下『数学的研究』)において研究対象とした一般均衡理論の方程式体系の同次性の公準と交換方程式とがパラレルであるということにある。したがって,異時点間均衡を対象とした彼の利子理論と交換方程式とは接合しえないと理解されることになる。
だが,フィッシャーは『数学的研究』の付論において一般均衡理論が論理的には整合的であるものの,当時周期的に起こりつつあった恐慌や,企業の固定費用の増大,独占化に伴うプライシングメカニズムの変化といった事象を分析できないという限界を持つと指摘していた。こうして彼は,後の一連の著作「価格上昇と利子」(1896),『利子率』(1907),『貨幣の購買力』等において,景気循環を説明しうる動態理論を構築するようになったのである。『貨幣の購買力』に寄せられたケインズやミッチェルの書評が,数量説それ自体ではなく,それが成立しない過渡期分析に多大の関心を払っていたことは,歴史的背景に照らしたフィッシャーの経済学の形成史的再構成の手がかりになると思われる。
まず,モノグラフ「価値上昇と利子」では,情報の非対称性に基づいて債権・債務者関係を規定し,将来に対する予見の不完全性から物価の変化と名目利子率の不適合を引き出し,「信用循環」のメカニズムを明らかにした。だが,この信用循環の分析では,預金通貨量が一定と暗に仮定されており,それが変化するケースは『貨幣の購買力』において分析されることになる。フィッシャーは,『貨幣の購買力』において,数量説がある特定の条件の下でのみ成立するものの,およそ現実の経済は,それが妥当しない過渡期にあるとした。この考え方は,交換方程式の着想の先行者であったサイモン・ニューカムのそれとは,明らかに異なっている。ニューカムは,一定の社会の状態のもとで必要とされる貨幣量を決定することに関心があったにすぎないからである。
フィッシャーは,過渡期分析の手始めに,外生的な流通貨幣量の増加という撹乱を想定し,そこから物価の累積的上昇過程,その後の反転から累積的下落過程,ひいてはその究極的帰結である恐慌への一連の因果連鎖を追究した。これは,「信用・利子」を分析に取り込み,「恐慌」を説明し得る動態理論を構築したと考えてよい。不完全予見に基づく利子率と物価の変化の不適合が信用の異常な膨張・収縮をひきおこし,恐慌にいたる過程が分析されていたからである。
フィッシャーは,当時アメリカにおいて周期的に起きていた恐慌の前に貨幣量の増大が観察できると指摘して,自らの交換方程式による過渡期分析の妥当性を強調している。この段階で彼は,すでに予定調和的な均衡理論の支持者ではなくなっていたのである。
高橋 和男「経済思想における「アメリカ的性格」とは何か──ケアリーの「アソシエーション」論を中心に──」
19世紀後半から第1次大戦にかけてのアメリカ経済思想の特質として,@マルサス人口論の拒絶,Aキリスト教神学の影響,B政府介入の容認,C保護主義思想の正統性,が挙げられることがある。最近のある研究によれば,貿易政策をめぐる周知の国論の対立にもかかわらず,保護貿易政策が正統性をかち得た理由は,自由貿易陣営にしても政府介入の容認という点で相手陣営と共通の前提にたっていたからだという。ヘンリー・ケアリーの場合,@,A,Cはあてはまるが,Bについては異論を唱えたい。
上記の解釈は,ビッグ・ビジネス対ビッグ・ガバメントというニューディール的思考に依然とらわれている。1930年代の大不況期から戦後にかけて,革新主義の流れをくむJ.ドーフマンらの研究者は「企業性悪説」の立場から「大きな政府」を支持した。彼らの目には,1世紀前のホイッグ,とくに,有限責任制と一般株式会社法の制定を要求したケアリーは,まさにビッグ・ビジネスの擁護者として映った。しかも不運なことに,ケアリーは「大きな政府」ばかりかビッグ・レーバーに対しても否定的であった。
しかし,市民社会への連邦政府権力の介入を恐れたケアリーが,自由放任と競争的個人主義を信奉する世紀末の社会進化論者の亜流かと言えば,決してそうではない。ケアリーは競争的個人の「インダストリーの自由」とともに,諸個人の自発的協力の自由つまり「結社の自由」を説いたのであって,前者を後者から切り離して論じることはできない。ケアリーにとって有限責任制の株式会社は,自律的個人の自発的協力(アソシエーション)と相互信頼の上に成り立つと同時に,逆に,そうした「心の習慣」(トクヴィル)を涵養し,制度的に保障する培養基でもあった。
このような自発的結社としての株式会社論をケアリーは1838年刊行の『経済学原理』第2巻においてはじめて展開した。10年後に同名の著作で株式会社について論じた際,J.S.ミルは,ケアリーの言う意味での株式会社に対しては条件付賛成の立場をとりつつも,有限責任制の優位性をケアリー同様認めただけでなく,株式会社制度を含む自発的結社というケアリーの社会構想を高く評価した。ミルもまた株式会社に,労働階級の境遇改善を図る手段の役割を期待した。
ケアリーの自発的結社論が,この株式会社論ゆえに,共産主義や社会主義といった19世紀の他の対抗的な団体主義(コレクティヴィズム)に対して優越した,と判定したのは制度学派のコモンズである。またコモンズ自身の団体主義にしても,たしかにケアリーのそれと異なり政府に一定の役割を与えはしたが,その「自発主義」が1930年代には社会民主主義者からそっぽを向かれたと指摘されるように(D.ロス) ,本質的にケアリーの自発的結社論の系譜に属するものであった。ここにアメリカ経済思想のもう一つの興味深い特質ないし性格を見ることができる。
佐々木 晃「ソースタイン・ヴェブレンと制度変化の諸過程──マルカム・ラザフォードの見解について──」
ソースタイン・ヴェブレン (Thorstein Veblen) は,アメリカの制度派経済学の創始者として知られている。彼の思想は,1930年代におけるアメリカのニュー・ディールの考え方に対する一つの先蹤となった。彼の思想は,合衆国の歴史において一つの精神的転換点をもたらしたがゆえに,その研究は,もっと後のアメリカ思想の傾向を理解するための一つの重要なカギを提供する。ヴェブレンの著作の研究はあまりに多すぎて数えることができないし,また最近多くの研究は,彼の経済学の方法論を明らかにした。
さて,第2次世界大戦以後のヴェブレンについての研究は,ジョゼフ・ドーフマン(Joseph Dorfman) の引き続いての解説と普及に重点を置いたものから,アラン・G・グルーチー (Allan G. Gruchy) やダグラス・F・ダウド (Douglas F. Dowd) のように,それぞれの観点からの思想的把握に至るまでの検討がみられた。また最近では以前にリチャード・V・テガート (Richard V. Teggart) や,ジョン・S・ギャムズ (John S. Gambs) が主張した論点を継承して,ウィリアム・M・ダガー (William Dugger) や,マルカム・ラザフォード (Malcolm Rutherford) によるヴェブレン独自の弁証法を解明した優れた考察や,その他リック・ティルマン (Rick Tilman) によるヴェブレンの観念や彼の批判の反応などに関する幅広い検討がみられる。とくに最近多くのヴェブレン研究は,その経済学の方法論を明らかにした。
本報告において,私はマルカム・ラザフォードの論文「ソースタイン・ヴェブレンと制度変化の諸過程」("Thorstein Veblen and the Processes of Institutional Change", 1984)を考察したいと思う。この論文は,ヴェブレンの弁証法の理解において一定の水準を示しているがゆえに,注目に値しよう。
ラザフォードは,ヴェブレンの科学技術と制度変化の理論に最大の注意を払っている。そして彼は,今述べた点においてマルクスを思い出させるような弁証法の要素がある,ということを指摘している。しかしながら,ラザフォードのヴェブレンの方法の説明は不十分である。
元来,ヴェブレンの経済学はダーウィン学説の原理で形成されている。しかし,ヴェブレンはダーウィンの自然選択の理論が,人間の経済活動に適用された場合に,一定の限界があるということを知っていた。したがって,ヴェブレンは彼自身の経済学にヘーゲル哲学とその弁証法を独自的に適用した。
それゆえに,私は,ヴェブレンの弁証法がヘーゲルあるいはマルクスのそれとは相違していた,ということを強調したいと思う。なぜならば,ヴェブレンの弁証法は「盲目の傾向と偶然」という局面を包含しているからである。遺憾ながら,今述べた見解は,ラザフォードの説明のなかに認められない。
第3回研究会アナウンス
第3回研究会は関西学院大学において1997年6月21日(土)に開催されます。詳細はのちほどご連絡致します。研究報告を希望される会員は,1997年2月末までに関西学院大学経済学部 田中敏弘会員までお申し出下さい。
ニュース
ホジソン氏(Hodgson, Geoffrey M., Cambridge University)来日とセミナー開催
「進化の政治経済学・欧州学会」で活躍中のケンブリッジ大学のホジソン氏が来日し,いくつかのセミナーが開かれます。関西学院大学では2月25日(火曜日:午後3〜5時:池内記念館)にセミナーが開催されます。セミナーは経済学部主催ですが,本研究会会員は自由にご参加頂けますので,どうぞご出席ください。テーマは "Comparing the 'old' and 'new' institutional economics " です。
氏のセミナーは京都大学,関西大学,大阪市大,一橋大学等でも異なるテーマで行われます。詳細は関西大学経済学部(若森章孝氏)まで。
会費納入のお願い
1997年度会費(¥3,000)を1月以降に事務局まで納入して下さい。現在郵便振替・銀行口座は開設しておりませんので(銀行口座を開設する予定です),現金書留にてお送り下さい。なお,1995,96年度会費未納の会員の方は,あわせてご送金下さい。
【編集後記】
今年もあとわずかとなりました。この『ニューズレター』も皆様のご協力で第 2号を発行することが出来ました。発行が遅れましたことお詫び申し上げます。来年度,井上が長期海外研修につき,皆様にご迷惑をおかけいたします。よろしくお願いたします。
Back to JSHET